Palliative Care & Yoga 緩和ケアとヨーガ

この連休は、京都の講座に始まり、その後の2日間は、敦賀での緩和ケア講習会に医師として参加してきました。

緩和ケアは、全人的な苦痛を取り除くもの・・・。
「木を見ずして、森を見る」と講師の先生は例えていらっしゃいました・・・。笑

今までの医療は、主に細分化してそれを別々に整えようとしますが、緩和ケアは、全部があって人である・・・という見方です。

ヨーガのパンチャコーシャと同じコンセプト。
肉体、エネルギー、心、知性、そして本質的な部分の統合が「人」であって、そのどれが欠けても「人」としてバランスがとれた状態とはいえない・・・という考え。

全人的・・・という場合、苦痛を4つに分類して考えます。
身体的苦痛:痛み、他の身体症状、日常生活動作の支障。
精神的苦痛:不安、いらだち、うつ状態。
社会的苦痛:経済的な問題、仕事上の問題、家庭内の問題。
スピリチュアルな苦痛:生きる意味への問い、死への恐怖、自責の念。

ヨーガ的なアプローチでは、精神的な苦痛の緩和が期待できますが、それによる身体的苦痛の緩和も期待できます。心の状態が、痛みに対する閾値(痛みの感じやすさ)に少なからず影響するからです。

かつ、ヨーガ哲学は「自分は誰なのか?」「何のために生きるのか?」を探求する科学であり、生まれながらに人が持っている「死への恐怖(生への執着・・・とも言える)」を薄くするために体系化された実践的な哲学です。スピリチュアルな苦痛にどう向き合うのか・・・が、ヨーガそのものだとも言えます。

今回、緩和ケア研修会に参加して、私が医師として何ができるのか、何がやりたいのか・・・を考えた時、精神的苦痛とスピリチュアルな苦痛の緩和に関わりたいのだということを、再認識することが出来ました。

緩和ケアは、終末期の患者さんだけが対象ではなく、実は、生きていく上で、常に関係する基本となる心の在り方だと思っています。つまり、「がん」と診断された方だけでなく、誰にでも関係しているものだということ。
なぜなら、人は生まれた瞬間に「死」を運命づけられているものだから・・・。
ただ、通常はそれを意識していない・・・。考えないようにしているのが人間です。ヨーガでは人間が生まれつき持っている5つの煩悩のうち、最も根深いのが「死への恐怖」だとしています。

「病気」、特に「がん」という診断は、その「恐怖」に強制的に向き合わざるを得ない状況を生み出します。
でも、気付かなくてはいけないのは、本来 全ての人が「死にゆく人」であるという事実・・・なのです。

この事実にありのままに向き合えた時、「今」という一瞬が、かけがえのないものになり、美しいものに感じられる。
「病気」と診断されることは、決して心地いいものでも、喜ばしいことでもないのは事実ですが、それが人間としての成長をもたらすきっかけになる瞬間を何度もみてきました。今、自分の手の中にある幸せに気付くきっかけになるチャンスも秘めています。
一瞬が永遠になる瞬間・・・。
それに気づき、最期の瞬間まで、人はスピリチュアルに成長し続けることができる、素晴らしい存在なのです。

自分は何をすべきなのか。
必要とされていることは何なのか。
出来ることは何なのか。
生きがいを感じることは何なのか。

そんなことを感じた2日間でした。

昨年と今年、プラーナーヤーマを通じて、ハタヨーガの基礎をお伝えする講座を開催してきました。それは、セラピーとしてのヨーガをお伝えするための準備でもありました。
いよいよ自分の中で、伝えたいものが明確になり、準備が少しずつ整ってきているのを感じます。
医療のサポートとしてのヨーガを、来年はお伝えしていこうと思っています。
講座やクラスに参加される方には、少しずつ構想をお話させていただこうと思っていますが、正式な告知は、来年1月のインドコース終了後、2月以降になると思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。