【エッセイ】インド行きの準備 ——それは、静かな禊のような時間だった――

インドに行く準備は、なぜか進まない。行く日が迫っても、その気になれないまま時間だけが過ぎていく。

「いざとなったら、パスポートとチケットと、入国ビザとお金さえ持っていけば、なんとでもなる」そう開き直っている自分も、確かにいる。でも、まだそこまで勇気は出ない。

けれど、ある時「カチッ」と音がして、そこから一気に準備が動き出すのだ。

インド行きの準備を始めると、気づけば家の大掃除になっている。「インドで使うかも」と引き出しやクローゼットの奥にしまっていたものを一つずつ出していくうちに、部屋は見違えるほどすっきりしていく。

一時的に部屋は荒れるが、スーツケースに荷物を詰め始めると、自然と取捨選択が進んでいく。国内線の預け荷物は15キロまで。スーツケースに入れなかったものは、その時点で静かに、ごみ袋へと送り出される。

そしてようやく、「ああ、本当にインドに行くんだ」という実感が、あとから追いついてくる。

インドでは、アシュラムに滞在することが多い。インドのアシュラムは、同じような目的を持つ人たちが集まって生活する、修行道場のような場所だ。生活は、意外なほど快適だ。施設の外は、インド特有の喧騒とカオスだが、一歩アシュラムの敷地内に入ると、そこは別世界。そこに滞在した経験があっても、インドに行った経験があるとはとても言えないくらい、別次元の空間なのだ。

そんな快適な場所でも、油断すると痛い目にあうのが、口から入るものと、身体を取り巻く環境だ。

外国人が訪れるようなアシュラムには、そのまま飲んでも大丈夫な、フィルターを通した水のベンダーが備えられていることが多い。なければ、ボトル入りのミネラルウォーターが手に入る。ただ、注意しないといけないのは、アシュラムの外や、アシュラム内のキッチン以外で作られた、火を通していないものを口にすることだ。

「お客様は神様だ」の精神は、インドでも同じだ。いや、村人気質が高ければ高いほど、日本以上に徹底している。当然、お腹を満たしてもらうことは、最大のおもてなしだ。一日に何件か訪問すると、そのたびに甘いお菓子とチャイが出る。客人の満腹具合は、関係ない。食べきれないほど振舞うことが、徳を積む行為なのだ。

日本的な「残すのは失礼」を守り続けると、身体に悪い。笑顔で「満腹だ、ありがとう」それで、相手はちゃんと喜んでくれる。

前回、家族のように親切にしてくれるインド人の知り合いを訪ねた時、皆が寄ってたかって大歓迎してくれた。どうやら私は、村を訪れた初めての外国人だったらしい。半年後に日本人グループを連れてくる予定の下見だったこともあり、行く先々で、「うちに連れてきて!」と、おもてなしの熱量が一気に高まった。

食事はどこも本当に美味しかった。ランチの後、ある家でバターミルクを出してくれた。スパイスやハーブが入った、薄めの、甘くない飲むヨーグルトのようなものだ。腸に良い乳酸菌は入っているのは分かっていた。けれど、一口飲んだ瞬間、味とは別のところで、私の身体の警報装置が小さく鳴った。心の中で「ごちそう様」と言って残したが、翌朝その予感は的中した。

大事には至らなかったものの、その後の移動は、正直つらかった。

この経験のおかげで、次に日本人グループを連れていく時は、おもてなしはチャイのみ、と強制決定となった。それで、十分だった。

水と食べ物は、注意すればある程度避けられる。けれど、インドでは、こちらの身体が慣れていない様々な環境にさらされる。

まずは、虫。なんといっても、蚊だ。虫よけが身体に悪いから……とか甘いことを言っていると、場所によっては、容赦なくぼこぼこにされる。薄暗い早朝、特に無防備なトイレは、蚊にとって、逃せないチャンスになる。油断していると、時間差で猛烈な痒みがやってくる。防御したいところには、迷わず虫よけスプレーを使う。

蚊よけは、ダニにも効く。服から露出した部分に、痒みのある赤い点々を見つけたら、とりあえず、吹き付けるとよい。痒みからの解放は、この上ない。

気候にも注意が必要だ。

安いからと言ってオフシーズンに行こうものなら、「オフ」の理由を、身をもって知ることになる。人間の生活には過酷過ぎる環境が待っているのだ。雨季には通路が川になり、真夏には日中の外出が危険なほどの猛暑になる。

普通に観光客がいる季節にインドに行くなら、朝晩の寒暖差には気を付けた方がいい。初めてのインドなら、なおさらだ。部屋が日陰だと、夜は思った以上に寒い。真夏以外は薄手のダウンが思いのほか重宝する。

毛布は……もちろん、ある。だが、しっとりしてひんやり重いことがある。冷たく重い毛布を二枚重ねるより、薄手のダウンの方が雲泥の差で快適だ。

ここ、重要!

シャンプーやコンディショナー、洋服など、細かいものは現地調達で十分だ。インド伝統医学のアーユルヴェーダを謳ったものも多く、それを試すのも、インドの楽しみのひとつになる。

読むかもしれない本や、いつの間にか増えているペンは、不安の表れだと気づいた。厳選した一つで事足りる。

洗濯は基本、手洗いだ。乾燥している季節なら、驚くほど早く乾く。……ということは、自分も干からびる可能性があるということだ。

こまめな水分補給は、必須である。

日本の手ぬぐいは、軽くて、すぐ乾いて、何役もこなす。

洗濯ばさみは、洗濯物が飛ばされないだけでなく、靴を頻繁に脱ぐインドでは、サンダルの目印にもなり、とても重宝する。

 

こうした細々した準備は、旅の形が変わると、その意味も変わってくる。

一人で行くときと、グループを連れていくときでは、常備薬の意味も違う。使うためではなく、使わずに済むために持っていくものだ。

正露丸、ありがとう。

 

必要なものと、そうでないもの。

あると、大難を避けられそうなもの。

そして、その難を、出来るだけ避けてほしい仲間たちのこと。

インド行きの準備は、そんなことを静かに考える時間でもある。

 

身体を置いている器である家を片付け、必要なものを選び、気持ちの波が静まるのを待つ。

身体と心を整えるためのインドへの旅は、出発前の準備の中で、すでに始まっていた。

 

こうして準備を終えたとき、家も、身体も、心も、少しだけ静かになっている。

何かを得たというより、余計なものが落ちていった感覚に近い。

 

それを禊と呼ぶに相応しいかは、正直分からない。

けれど、出発前に、いったん私をまっさらな状態に戻してくれる、静かな儀式のようなプロセスであることは確かだ。

 

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