Nothing is mine. ~2018 Mind & Life IRI: JAPANに参加して

By 2018-09-07 Blog No Comments

2018年9月1日から9月5日まで、ご縁があり、京都で開催されたMind & Life Instituteの合宿型プログラムにヨーガ講師として参加させていただきました。

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プログラムのテーマは ”Contemplative Practice in Context: Culture, History, and Science”
「禅とマインドフルネスを越えて:文化、歴史、科学から見たContemplative Practiceとは」

参加された方々は世界11カ国から、約70名。国内外の大学教授、准教授レベルの学者、研究者、実際にマインドフルネスを教えているエキスパートの方々など、アカデミックな頭脳集団でかつ瞑想に造詣が深い方々の集まりでした。ここでの共通言語は、当然のように英語。(汗)
DSC_0790[/caption] レクチャーでは、しっかりと同時通訳がなされ申し分なかったのですが、この中で、私はハンディキャップを経験しました。(苦笑) 
そのおかげで貴重な気づきもありました。

プログラムの中心テーマは、瞑想研究。
その中で、様々な分野の最先端を牽引する方々が、レクチャーをしてくださいました。
沢山の印象に残ることの中から、ヨーガの気づきに繋がったことを少しだけご紹介致します。
(以下、私の主観的理解かつ覚書ですので、そのまま信じないで下さい。長いので、お時間がある方だけどうぞ。笑)

*京都学派の哲学について(藤田正勝先生:京都大学名誉教授)
キーワードは「場所」「無」「自己」。「師弟関係は相互に批判し合うこと」という言葉で、ヨーガの学びの時に必ず師と弟子が一緒に唱えるShanti Mantraが思い浮かびました。
「無は何もないことではない。枯れることを知らぬ生の根源である。」素晴らしい!

*瞑想研究の禅のルーツ(ハロルド・ロス:ブラウン大学宗教学部教授)
瞑想の実践を「客観的(三人称)」と「主観的(一人称)」に加え「間主義的(二人称)」そして「非自己参照的経験(無人称)」の全てを包括する多人称の認識論で説明されていたように思います。ここでいう無人称が、ヨーガでいうGo beyond.なのかな?とぼんやり感じました。

*瞑想研究のための神経科学(ガエル・デスボーデス:ハーバード大学医学部研究員)
この中で、瞑想研究の現状と現在の誇張された主張に問題提起を行いました。これには多くの参加者が賛同していたように見受けられました。瞑想の治療効果に対する非現実的な期待が、逆に科学の進歩を妨害する、という発表をされました。

*仏教の心の観察とマインドフルネス(蓑輪顕量先生:東京大学大学院人文社会系研究家教授)
仏教瞑想においてサティ「念」の働きとはスムルティ(記憶)。行為を覚えていることで、言葉と関係していると説明されました。動きを感じながら言葉で確認する事は、集中力を高めることに非常に効果的です。サンパジャンニャ「正知」とは、言葉を使わずに気づくこと。「念」と「正知」を繰り返すことで、自然と「念」から離れる、これが実践によってもたらされるもの。「ただ感じている状態」と言葉で表現出来る間は、微細なレベルではありますが、まだ言葉でラベリングしているということなのかもしれません。
ヨーガでは、努力を要する外側のヨーガを繰り返し真摯に実践することよって、努力を要しない「ただ在る」状態である内側のヨーガに至る、と学びました。(詳しくは、ハタヨーガ・ベーシック講座で説明します。興味がある方は、下へスクロール↓)
他にも、蓑輪先生のレクチャーから、言葉はイーシュワラー(至高の存在)である、と言ったパタンジャリの言葉の意味が少しだけ見えそうな感じがしました。
ティワリジがいつもおっしゃる「ふるまいの現実Behavioral reality」と「究極の現実Ultimate reality」。究極の現実を知ることがヨーガの目的。ただ、この真の現実に至る前には、現実問題として言葉で理解する世界に生きていかなければなりません。そのために必要なのが、「言葉」。だから、この言葉の構成要素である音・全ての音の根源でるOmが、私にとって「至高の存在」である。そうヨーガスートラの中でパタンジャリが言っていることの理解が少し深まったように思います。

3日目は、1日沈黙の実践でした。私にとって、最近にはなかった静かな時間を過ごすことが出来、本当に心穏やかな幸せな時間でした。

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沈黙実践日の夜は、日本の伝統芸術である華道について学びました。教えて下さったのは池坊専好先生(華道池坊流次期家元)です。
「道」と言われるものは、一つの同じことの繰り返し。だからこそ心が違っていることに気づき、内面の自分は常に変わり続けていることを知る。造形のみではなく、花を通して自分を見つめるから、同じことの繰り返しでも飽きることがない・・・。
なかでも、「相反する中の調和」という言葉が心に響きました。ヨーガで気付けるものの中に、”Unity in diversity”があるとティワリジはおっしゃいます。日本の伝統文化は、まさにそれを腑に落ちた理解にしていく実践体系なのだと感じました。

 

*現代における禅的洞察-白隠が我々に教えること。(松原正樹先生:コーネル大学東アジアプログラム日本宗教学者として教鞭をとる)
白隠が修行の過程で自ら経験した禅病から、指導法を変えていったことを紹介されました。
ヨーガでもニヤマ(自分にどう向き合うか、という5つの態度)の内の一つの「タパス」が誤訳されている、とティワリジはおっしゃいます。「苦行」ではないと。
いつもティワリジがさらりとおっしゃる”Don’t be serious. Be sincere.”はこの深いところから出てきている言葉なのだと、再確認する事が出来ました。
その中で一番印象に残ったのが、「禅の実践は時に、鋭い刃物になり得る危険性を秘めている。」という言葉でした。ヨーガも常に安全ではありません。特にプラーナーヤ-マは、神経系に負荷をかける実践のため、注意が必要です。

*感謝の念を通しての癒し-日本人の瞑想の実践における心の仏教論と自己変容(小澤デシルバ慈子先生:エモリー大学文化・医療人類学准教授)
このレクチャーでは「内観」についてお話してくださいました。
内観法は実はスワッディヤーヤ(自己の探求)の実践としてティワリジがおっしゃったことと全く同じでした。この内観法がヨーガの実践とどのように関係しているのか、興味がわきました。今度インドでティワリジに直接聞いてみようと思います。

*日本というコンテクストにおける瞑想(越川房子先生:早稲田大学心理学教授)
このレクチャーでは、越川先生が実際にどのようにマインドフルネスを伝えているかという、非常に参考になる内容をお話くださいました。
日本人の「宗教でないから安心出来る」という率直な意見には、大きく頷きました。特に病院に新しいプログラムを導入する際に一番警戒されることでもあるからです。
またレクチャーに対する質問の内容から、「自分」という概念の中にヨーガでは2つある、ということも思い出しました。アハンカーラとアスミタ。
自分の合宿中に実践で経験したこととも相まって、少しだけ腑に落ちた理解が深まったような気がします。

レクチャーだけでなく、中心メンバーの方々の態度、スタッフの態度から学んだことも大きかったです。忙しい中でも、決してバタバタせず、それこそマインドフルに振る舞っていた彼らは、これからの私自身の在り方にとても刺激になりました。

私は何をしていたか、と言いますと・・・。
毎朝6時から1時間、ヨーガを担当させて頂きました。

最初は通訳をお願いしていたのですが、自分の中で思うところがあり、2回目から通訳の方に頼らず、自分で英語でのインストラクションすることに決めました。(通訳を引き受けて下さった学生さんが、セッション中ずっとそばに居て頂けたことが、私の心の大きな支えでした!感謝。)
たどたどしく聞き苦しかったと思いますが、自分でトライしてみようと腹をくくれたのは、参加して下さった方々が醸し出すその場の温かな雰囲気と安心感があったからでした。有難うございました。
レクチャーを聞いたときに、ヨーガで学んだことと重なると感じたことを盛り込みながらクラスをさせていただきました。

最終日は、ヨーガにおける師弟関係を表すShanti Mantraも最初にチャンティングしました。アカデミックな先生方にお伝えするので、正確な発音を感じて頂こうと、カイヴァルヤダーマ・ヨーガ研究所のサンスクリット・スカラーのDr. Bhatのチャンティングを録音したものでご紹介しました。

自分の中から伝えたいという気持ちが湧いてきて、今までティワリジや他の師から学んできたことが自然とあふれ出る感覚が心地よく感じられたこの4回のヨーガセッションは、私にとって有り難い経験でした。
また今までどれだけのことをティワリジが惜しみなく伝えて下さっていたのか、ということを感じ入り、ただただ感謝の念でいっぱいになりました。
そして、ティワリジがいつもおっしゃる ”Nothing is mine.”「私のものは何もない。」という言葉。
今回まさに、私の口から出た言葉は、ティワリジから学んだことだけで、私のものではありませんでした。だからこそ、揺るぎない自信とともに、恐れ多くも権威ある学者集団の前でクラスをインストラクション出来たように思います。

この機会をいただくきっかけを作って下さった、京都大学(思修館)仏教学と比較思想:准教授のマルク=アンリ・デロッシュ先生、私がこのイベントに関わることを許可してくださったMind & Life Instituteの方々、中心メンバーとして参加しいろいろと教えて下さった先生方、ヨーガクラスに参加して下さった皆様、地域プログラムコーディネーターとして最初のビデオミーティングの時から大変お世話になった京都大学大学院生の奥井剛様、会場を整え瞑想を指導し台風による急な予定変更にも柔軟に対応してくださった妙心寺春光院副住職の川上隆史先生、このプログラム開催に直接的・間接的に関わった全ての方々に心より感謝します。

(このレポートは、長くなりましたがこれでもほんの一部です。詳しいことは、ハタヨーガ・ベーシック講座でお伝えしようと思います。講座のご案内はこちらをご覧下さい。)集中講座チラシ

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