理想論が通用しない場所で、私を支えた――Awareness Medicineという羅針盤

理想論が通用しない場所で、私を支えた——Awareness Medicineという羅針盤

~正解を示すのではなく、感覚に立ち返るために~

 

どうにもならない状況にいるとき、「正しい方法」や「前向きな考え方」は、驚くほど役に立たない。

これは、私自身が、家族の介護と向き合う中で、何度も突き当たった実感でした。

介護、看病、慢性的な不調、先の見えない不安。
頭では分かっていても、感情や身体がつい反応してしまう。そして、その反応が葛藤を生む……。

私は、家族の介護に向き合う中で、何度もそうした行き詰まりを経験してきました。

それでも、不思議と完全に折れてしまうことはありませんでした。
状況が劇的に改善したわけでもなければ、気持ちがいつも穏やかだったわけでもありません。ただ、「自分を見失わずにいられる感覚」だけは、かろうじて保たれていた……。それが、私を支えてくれたように思います。

振り返ってみると、その土台になっていたのは、ヨーガを通して長年培ってきたAwareness ――
思考や感情、身体の反応を、評価せずに観察する視点でした。

次にご紹介するエッセーは、現在受講している書店主催のライティング講座の課題として書いたものです。書き終えた後で、「では、具体的にどうしていたのか?」という問いを受けました。

その問いに向き合ったとき、私ははっと気づいたのです。「具体的な方法」は、すでに一冊の本としてまとめていたのだと……。

 

*****課題エッセー*****

『認知症の母を介護する日々は、マットの外で行うヨーガだった』

ヨーガを長く学んできた私が、母の前で声を荒げた。
呼吸は浅く、速く、もしかすると一瞬止まっていたかもしれない。胸は締めつけられ、喉は強く緊張し、腹の奥が固まっていた。必要以上に大きく威圧的な声で、私は言ってしまった。

「もう、無理!」

認知症が進みつつある実母の介護は、ある日突然、しかし確実に始まった。ぱっと見は以前と変わらず、受け答えもしっかりしているように見える。けれど、記憶の抜け落ちは少しずつ増え、話の辻褄が合わなくなり、不安が滲み出てくる。その変化を、母自身も、そして私も、なかなか受け入れられずにいた。

不安が強まると、母は誰かを悪者にして納得しようとした。その矛先は、いつも一番近くにいる介護者――娘である私に向かった。疑われ、責められ、信頼されていないと感じる言葉を浴びるたびに、胸の奥に熱いものがこみ上げた。怒りだと思っていたその感情の奥に、「理解されていない」「信頼されていなかった」という深い悲しみがあったことに、私は後になって気づく。

冷静に判断するはずの知性は、母の中で少しずつ失われていった。その結果、不安や被害者意識、ネガティブな思考に振り回され、混乱し、エゴが前面に出てくる。その様子は、ある意味で人格が壊れていく過程を目の当たりにしているようで、私にとって大きな衝撃だった。

それでも私は、ヨーガで学んできた「心の構造」を通して、この変化を分析し、観察しようとしていた。ただ感情に飲み込まれずにいられたのは、その視点があったからだと思う。

頭の中は騒がしかった。
「分かっている、認知機能が落ちてきているせいだ」
「でも、私だって限界だ」
「ヨーガを学んできたのに、どうして感情がこんなに乱れるんだろう」

理性的であろうとする声はかき消され、イライラと追い詰められた感覚、自己嫌悪が内側を占拠していく。自分の内側で何かが崩れていく感覚だけが、はっきりとあった。

そんな日々の中で、母はデイサービスに通うようになった。母のためでもあり、私自身のためでもあった。専門職の人に母のことを相談出来るというだけで、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。自分がやっていることを認めて励ましてくれる人がいる。その事実だけで、心にわずかな余白が生まれた。

改めて気づいたのは、母の認知機能低下が刻々と進んでいるという現実だった。そして、このつらさが永遠に続くわけではないということも……。それは、辛さが終わるという意味ではなく、いつか必ず別れが来るのだという事実を、はっきりと突きつけるものだった。ある意味で残酷でありながら、その事実は、この瞬間をより大切に抱きしめる感覚を私の中に育んでいった。そして、これまであまり一緒に過ごしてこなかった母と、こうして向き合う時間を持てていることを、いつの間にか愛おしく感じるようになっていた。

その過程で、私は自分自身の心にも触れることになった。母とのやり取りの中で湧き上がる意固地さや反発心。その正体は、幼い頃に我慢してきた自分の記憶だったのかもしれない。「あの時、こうしてほしかった」という思いが、今の母に重なって見えていた。気づいた瞬間、胸の奥が少しだけ緩み、自分がその時にして欲しかったことを母にすることで、過去の小さな傷が静かに癒されていくのを感じた。

認知症がさらに進み、母はグループホームで暮らすようになった。正直に言えば、私は一時期、「母が嫌な人になっていく」と感じていた。けれど、そこで目にした母の姿は、その印象を静かに覆した。周囲の利用者さんたちと比べても、母は驚くほど穏やかで、そこには、私の記憶にある昔のやさしい微笑みが、何の混じり気もなく戻ってきていた。

理性がほどけ、取り繕う力が完全に失われたその先で、母の本質が、むしろ純粋なかたちで立ち現れていたのだと思える。母は、やさしく、柔らかな笑顔の「私のお母さん」だった。そのことに気づいたとき、私はなぜか誇らしい気持ちになっていた。

グループホームという場所に対する私の印象も、その頃から静かに変わっていった。以前は「預ける場所」「任せる場所」という感覚しかなかったそこが、母を通して、まったく違う意味を持ち始めた。

他の利用者さんたちは、私のことを娘のように迎えてくれた。帰る時間になると、母だけでなく、何人もの人が私に向かって手を振ってくれた。その光景に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。母がいるその場所は、いつの間にか、母がたくさんいる場所になっていた。血のつながりではないけれど、確かに人のやさしさが循環している空間だった。その中で、母の穏やかな表情は、より自然なものに見えた。

あれほど「無理」だと思っていた時間が、過ぎてしまえば不思議と愛着を帯びてくる。もう戻らないと分かっているからこそ湧いてくる安堵と、同時に押し寄せる寂しさ。その入り混じった感情が、今の私の中に静かにある。

振り返れば、この介護の日々は、まさにマットの外で行うヨーガだった。きれいに対応できなくてもいい。感情が崩れてもいい。それでも、自分の内側で起きている反応に気づき、立ち戻ろうとする。その繰り返しが、実践だった。

介護は続く。別れは、いつか必ず訪れる。だからこそ、今この瞬間の向き合い方が、未来の後悔を少しだけ減らしてくれるかもしれない。ひとりで抱え込まなくていい。この生活そのものが、私にとってのヨーガである。

*****課題エッセー終わり*****

 

このエピソードで紹介したヨーガ的な視点や態度を養う具体的な方法とその理論背景は、本書『Awareness Medicine』で、丁寧に解説しています。

本書では、呼吸への注意の向け方、感情が揺れたときの身体感覚の捉え方などを通して、日常の動作や姿勢の中でAwarenessを育てていくための視点と具体例を紹介しています。

もちろん、こうした極限の状況だけを扱った本ではありません。
むしろ、日常の中で誰もが直面する、

・疲れやすさ
・不安やイライラ
・集中力の低下
・不眠
・理由のはっきりしない不調

といった、ごく身近な状態に対して、「自分を消耗させずに整えていくための視点と実践」をまとめた実用書です。

即効性のある対処法や、誰にでも当てはまる正解を提示することは、あえてしていません。

代わりに、今の自分の状態に気づき、必要な分だけ介入し、また日常に戻っていく――
その循環を支えるための、具体的なヒントを散りばめています。

介護や看病の只中にいる人にも、
忙しい日常を生きる人にも、
そして、ヨーガを「特別な時間」ではなく

「日常を支える知恵」として活かしたい人にも。

本書が、あなた自身の感覚に立ち返るための、静かな羅針盤となれば幸いです。

 

この羅針盤をあなたの手元にも……

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

この文章で触れてきた Awareness Medicine は、書籍という形でも、静かに共有しています。

必要なタイミングで、必要な部分から読み進めていただけるよう構成しました。

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