本当に美味しいものは、味わえない !?  寳幢寺 京都瞑想センターで瞑想を学ぶ

By 2019-11-23 Blog, pranayama No Comments

今日は、京都の寳幢寺 京都瞑想センターにお伺いしてきました。
先日、大阪で開催されたシャーラーキャ・タントラム研究会で、寳幢寺 京都瞑想センターの松波龍源僧侶が「真言密教の瑜伽技法の探求~鼻呼吸と鼻端のイメージを使った瞑想~」というタイトルで講演されました。その講演を拝聴して、しっかりとした長年のご自分の実践経験に基づいて、古典書を学び理論的にお話をされている方だと感じました。その時はお話だけで実践がなかったのですが、ヴィパッシャナーについて少しだけお話されたときに、まさにピンポイントで響くものがあり、実践をこの先生から学んでみたいと思ったのです。
ハタヨーガに大きな影響を与えたとされるタントラ(密教)。その瞑想のテクニックについても、今まで学ぶ機会がなかったのですが、この方からもう少し学んでみたいと思いました。寳幢寺のホームページのサイトから連絡して、ちょっと無理を言って、今日講座を開いて頂けることになりました!
なんだか今回は、12月にインドに行く前に、自分の中で確かめておきたいことがあったのです。希望を叶えて下さいまして、有難うございました。

(写真は、インド、カイヴァルヤダーマ・ヨーガ研究所のmeditation caveでのもの)

念願の、今日の講座。基礎的なことを学ぶ5時間クラス。生徒は、私を含めて2人だけ!贅沢です。

呼吸を使って、意識状態を変化させてから始めました。5~6呼吸だけなので、安全な感覚でかつ自覚として意識状態が変わるのを感じやすいなと思いました。(勿論、龍源先生のような適切な指導者が必要です!)
前半と後半に分けて、ほぼ実践。間に短いレクチャーで理論を学ぶ濃い5時間。
レクチャーでは、ヨーガでも使う同じ言葉を、違った定義で使っているように思える部分もあったのですが、違う言葉で言っている同じ概念がとても多いように感じました。なので、感覚的に言ってどのこと?とかまた考えてしまい、いけない、いけない。そうじゃないでしょ、と自分で突っ込む。苦笑

プラーナーヤーマで感じたことのある感覚と、ヴィパッシャナーで経験した感覚を統合するような感覚や、
カイヴァルヤダーマで話だけは聞いていたタントラヨーガの実践をほんの少し体験したことで、「あ~、こういうことだったのか」と腑に落ちた感覚や、
ハタヨーガとパタンジャリのヨーガの違いについて、聞いてはいたけど、こういうことかな?と感じたり、
自分の意識が考える方に行き始めた時に、素早く気づく道具としてだけでなく、考えの入り込む余地を作らないこととして、五感を使うテクニックがあると感じたり、
感覚器官を遮断するのではなく、自然に入ってくる刺激をそのままにしつつ、無駄なエサ(アーハーラ)をやらないことを体感したり、
と、とても気づきの多い時間でした。
興味を持った方は、是非、ご自分で体験してみてください。(言葉では表現出来ないところが一番大切なので。)

一つ感じたのは、この実践方法であれば、指導している先生が、生徒の内面を観察しやすいだろうな、と言うこと。(通常の瞑想法では、外から見ても、その実践者の内側で何が繰り広げられているのか、いないのかを知ることはとても難しかったりします。)この瞑想のテクニックでは、プラーナーヤーマのクラスで、生徒の内面の動きや成長具合が、先生から丸見えなのと似ています。(そこまで丸見えではないにしても・・・。)その鍵は、やはり呼吸でしたが・・・。
だから、言葉はいらない。でもやっぱり、いりますね。言葉と行動が一致しているか、そこからも理解の程度(エゴの強さ、態度も含めて)が図れるでしょうから。だから、信頼出来る先生からしか学べませんし、ある意味、慎重にしなければいけない、いろんな意味で。あ~、怖い怖い。丸見えだ~。笑

呼吸法を含むヨーガもそうですが、瞑想も、潜在意識の扉が開く実践になり得るため、誰から学ぶか、がとても大切です。そういう意味で、良い先生に巡り会ったと思います。
ヨーガは感じるもの。実践の後に体験をシェアして、先生と話すという順番で、実践を進めて行きました。(←これです、言葉!笑)でも、言葉で上手く表現出来ないですね。言葉にすると、なんか、陳腐。笑えます。

ちょっと、ティワリジのリトリートの時の、Q&Aを思い出しました。プラーナーヤーマの実践の時、いろいろな色が見えることがありますが、それを皆の前で「私は、プラーナーヤーマの実践をすると、こんな色がこんな風に見えることがあるけれど、それはどういうことか?」と質問する生徒が時々います。その時、ティワリジの答えはシンプルです。
「視神経が正常だということです。」
質問した生徒は、拍子抜けです。笑
ティワリジは、そういう生徒のエゴにエサをやることはしません。個人的に質問をするときの答えは違います・・・、多分。

今日の話に戻って・・・。
最後に45分座ったときに、最初の方で、言葉が降りてきました。
「本当に美味しいものは、味わえない。」
瞑想の体験で、感覚的にとても軽く、心地良い感覚が訪れることがありますが、それに気づくのは、その感覚が薄れた時。過ぎ去ってその感覚がなくなったと気づいたときに初めて、「なくなった感覚があると言うことは、あったに違いない」と感じます。その最中には、自覚がない。美味しいはずのその時には、自覚がない・・・という、なんだかねえ・・・。笑
その言葉を感じた瞬間、なんとも勿体ないような気もしましたが、それでいいのだ!「自」覚がないから、至福になり得るんじゃないか?と思って、薄笑いしたり、最後のSitting practiceは、邪念が浮かんできましたが、楽しかったから ま、いっか。
考え始めた自分のことも楽しめた、久しぶりの静かに愉快で楽しい時間でした。

ヨーガの実践で目指すもの・・・。
今、行っている実践を深めたい方は、是非ご自身で体験されることをお勧めします。
京都、良いですね。学びの機会がそこにある。
って、福井のチャンドラも、そのようになれば良いのですが、(他人事みたいな言い方ですが。苦笑)
少なくとも、2020年は、第42回日本アーユルヴェーダ学会 大阪研究総会にコミットするつもりなので、現状維持ですね。その翌年2021年は、この2年間(来年も入れると3年間)インプットが出来ない自分の人生にとっての氷河期だったので(爆笑)、自分の実践をしっかりと深めたいと思っています。

来年の日本アーユルヴェーダ学会 大阪研究総会のテーマにもある、アーハーラ。これですよ、これ。今日、学びたかった理由の一つが、これを確認したかったから、というのもあります。
(気になる方は、今後の大阪大会の紹介投稿を要チェック!)

良い一日でした。