「スティラ・スカン」安定して、快適であること・・・からだとこころの平和バトン 2日目

By 2015-07-01 Blog No Comments

パタンジャリのヨーガ・スートラでは、アーサナ(ポーズ、姿勢)の定義を「安定して、快適であること」としています。
姿勢は「からだ」の状態ではありますが、その姿勢を作っているのは「こころ」、だとも言えます。

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プラーナーヤーマ(伝統的なヨーガ呼吸法)の実践では、姿勢がとても重要と言われます。
(なぜ姿勢が大切か?は連続講座で皆さん何度も聞かされていますから、割愛。笑)
「結果として理想的な姿勢である。」ということです。努力してその形に自分の姿をはめ込むのではない・・・ということ。ここ、間違いやすいポイントです。私も去年、その違いがようやく理解出来ました。(ヒロさん、大きな気付きを有難うございました。)
Intellectual understanding(頭での知識としての理解)とPractical understanding(実践から経験して理解したもの。腑に落ちた理解・・・と言えるかな・・・)の違いです。
(去年の講座を受けていた方、ごめんなさい。再受講、お待ちしています。笑)

昨日のブログでも「今」に留まること・・・をお伝えしましたが、姿勢はまさに心の状態を映す鏡のようなものです。
そして、動きが少なくなればなるほど、その人の内面が表に現れてきます。
スピードもこころの状態とリンクしていましたね。(昨日のブログと繋がりました。笑)

「こころ」の状態が姿勢そのものである・・・ということを、クラスをさせていただく度、臨床で患者さんに向かい合う時、常に思い知らされます。
そして、自分を振り返る・・・。笑

昨年までの私は、プラーナーヤーマの連続講座で「実践中の理想的な姿勢とは?」という話を、解剖学的に説明していました。
今年1月にインドで、日本人対象のプラーナーヤーマ・コースをオーガナイズした時、ティワリジの視線を追い、どのような時にアジャストをして、どのような時はしないのか(待つのか、見守るのか)を観察していました。明らかに理想的ではない状態であるにも関わらず、ティワリジが動かない時に「なぜ?」と思ったことは少なくありません。そんな時は、直接質問をして、ティワリジがなぜ直さないのか・・・を学びました。
ティワリジが見ているのは、その姿勢の内側にある、こころの状態。ヒトとしての在り方・・・でした。
その姿勢をとることで「こころ」のバランスをとっている場合に、見た目だけで理想の姿勢を押し付けると、その人の内側では摩擦や葛藤が生れます。

インドのコース参加者の中で、正しい姿勢に見えて、筋緊張によって姿勢を作っている生徒さんがいました。
「直してもいいですか?」とティワリジに尋ねると、静かに首を横に振って、私の耳元で囁きました。
「生き方そのものがその状態だから、姿勢だけ直しても意味がない・・・。」と。

プラーナーヤーマをはじめとした実践が進むことで、自然と内側が変化し、それによって徐々にその人に必要な時間をかけて理想に近づいていく…姿勢。
生徒を信じ、その人が自分に必要な時間をかけることを待つ忍耐を持つ・・・。
でも、いつも放置するかというと、そうではなく、その人に受け入れる準備が出来ている時には、気付きを与えるためにちゃんと直すことをされます。見極める目・・・。インドでは、師の在り方からヨーガの本質に触れ、沢山の気づきと学びをいただきました。感謝。

安定して、快適であること・・・。

これはしっかりとグラウンディングしていて(根付いて)、努力の中で努力がない状態です。いわゆる軸が通った状態。
例えば、
小さな積み木があるべき位置に積み上げられていれば(努力の中で)、手を放してもスッと立っています(努力がない状態)。
でも、少しでもずれていると、手で支えないと倒れてしまいます。
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アーサナやプラーナーヤーマなどの実践では、内側の自分の軸(芯になる部分)を感じていきます。
軸が重力に逆らわず、支えの存在を忘れるほどにスッと立っている状態が、スティラ スカン。
外観を整えようとして姿勢を調整すると、どうしても筋肉を利用して変えようとしてしまいます。努力して保とうとする・・・。

ポーズの練習や、呼吸の練習を通して、自分の「安定して快適な」バランスポイントを探っていく・・・それがヨーガだと思います。
ヨーガの実践をしながらマットの上で自分の不必要な力みや態度に気付くと、日常の動作のなかでも同じように振る舞っている自分に気付きやすくなります。

気付かずに力が入っていることはあまりに多くて、自分でも笑っちゃうくらい、毎日気付いています・・・。それでもまだまだ沢山、自分に染みついているものや握りしめているものが多くて・・・。あ~楽しいぞ、超凡人!
目から鱗が何枚も落ちる・・・という感覚。何枚張り付いているんだ、ウロコ!と突っ込みたくなります。笑

ある人が、「玉ねぎの皮が一枚一枚剝けていくように、理解が深まっていく・・・」と表現されていたことを、今朝の実践の時に思い出しました。
「どんどん剝けていって、最後の一枚が剝けたら、何が残るのかな?」とフッと思ったと同時に、
「無に至る~!」とマインドが答えて、思わず笑顔になっちゃいました。
マインドのおしゃべりが止まりません・・・。
修行がまだまだ足りないようです。
でも、そんな長い道のりも楽しく感じます。