充実の2日間:井上ウィマラ先生によるマインドフルネス講座

By 2018-08-27 Blog No Comments

8月25日・26日の週末は、高野山大学から井上ウィマラ先生をお招きして、マインドフルネスを学ぶ講座を2つ開催しました。

25日夜は、チャンドラで「仏典から読み解くマインドフルネスの実践形態」のワークショップでした。

湧き上がってくる思いにどのように自分が対応しているかを知ること、これは自分が他人とどう関わっているかを知ることになっている=マインドフルネスの実践
ハタヨーガでやろうとしていることは、まさにこのこと。
日中のクラスでお話したこととリンクすることもありましたが、感覚的にしか自分の中になかったことも多かったと気づきました。ご自分の実践経験に基づく井上先生の言葉は、ストレートに心に入ってくるように感じました。
今までと大きく違ったのは、ただ感じている瞬間と、思考が動き始めた瞬間の違いに鮮明に気づけたことだったように思います。
「今」に留まっているときには、「私」という感覚がない。
DoingではなくBeingということを少し体感出来たように感じました。

26日は福井赤十字病院で「マインドフルネス勉強会」でした。テーマは「マインドフルネスの臨床への応用法」

一日の講座は理論と、沢山の実践であっという間に過ぎていきました。気づきが沢山あったのですが、その中でも特に印象的なことは二つ。(あくまでも私的に、です!)

WHOにおける健康の定義にある、「ダイナミックな」の意味。動的とは?
その単語が意味するものは、「死」そのものも健康の中に含まれる、ということでした。(オーガナイズに関わったものの特権で、ランチを先生と二人で真夏の屋上で空と山を見ながら頂き、そこでいろいろとお話させて頂きました。ラッキー♡)
これも、「まだIntellectual understandingだったのか!」と愕然とした瞬間でした。

もう一つは、食べるマインドフルネスに続いて実践した、視点取得。相手になって味わわれてみる。笑 
そこから気づいたのは、相手の身になって考えたとき、自分の思考のパターンや想い、願いがこれでもか、というくらいに反映されているということ。
客観的に見ているようで、全ては主観なのか?と想った瞬間に、グラグラしました。
今まで、冷静に客観視出来ていると思っていたアレは何だったのか?と。
しばらく自分の中で衝撃しかなかったのですが、勉強会が終わり、自宅に帰ってきてフッと気づいたことがありました。
「だから、やっぱりヤマ、ニヤマが大切なのだ。」と。
その実践によって、井上先生がおっしゃっていた、メタスキル(スキルを使いこなす人間性の器)を磨くことになるんじゃないか?
それを磨くことなしに体感覚だけを鋭くしていくことは(たとえば、アーサナ、プラーナーヤーマといったハタヨーガの実践の一部のみをすること)、進む方向性を誤ったものにしてしまう危険を含んでいるのだな、という考えが浮かんだ瞬間に、ティワリジが何度もおっしゃっていた沢山の点が、一気に繋がった感じがしました。
アハンカーラ(wrong sense of “I”)を薄めていき、アスミタ(right sense of “I”)に近づけていく。ただ、最終的に目指す方向はそれすら超えていくこと。
そのことが、霧の中ではっきり見えなかったものが、少しずつ見え始めているように、理解が少しだけ深まったのかもしれないと感じています。(多分、少し経ったら、また愕然とするのでしょう。笑)

2日間のマインドフルネス講座で学んだことで、ヨーガをIntellectual understanding(頭での理解)で分かったつもりになっていた部分が、少し腑に落ちた理解Practical understandingになったように思います。
気づきから繋がったこと、ティワリジが私にアドバイスして下さったことの真意に気づいたアハ体験を、ハタヨーガ・ベーシック講座でお伝えしようと思います。
この2日間、参加して下さった皆様、講師の井上ウィマラ先生、本当に有り難うございました。