今日のクラスで、Pranayamaの実践の時の手(指)の使い方について、質問を受けました。
人差し指の位置について・・・です。
呼吸法も、教える先生によって、千差万別です。
ですから、ティワリジが仰っているように、どれも良い悪いではありません。
ただ、実践を進めていくうえで、自分がどのLineage(師弟関係の系統)の伝統に則って実践をしているのかを、知る必要はあると思います。
本来Pranayamaはスピリチュアルな実践として行われてきました。Fire ceremonyもそうですが、人差し指は使いません。
なぜなら、人差し指はエゴを表す指とされるからです。いわゆるwrong sense of “I”の方です。(Right sense of “I”のエゴは必要ですが・・・。)
他にも、人差し指を眉間(いわゆる第3の目)に当てない理由はあるのですが、理由と伝統を知った上で、自分が体感し心地よければ、使っても全く問題はない・・・とティワリジは教えます。
ヨーガは、強制されてするものではなく、盲目的に従うものでもない・・・と。
しっかりと理解をして、納得した上で実践するのがヨーガである・・・と。
エゴは、他人に対してだけでなく、自分自身の本当の部分を知る時にも、障害になると思います。Wrong sense of “I”の方のエゴを、出来る限り排除していくこと・・・。
それによって、
自分は誰なのか?
どこへ向かっていくのか?
という自己の探究、いわゆるスピリチュアリティに繋がっていくことが出来るのだと思います。
人差し指で、他の人を指さすのは、エゴそのもの・・・。
ティワリジは言います。
人を指さしている時、残りの3本の指は、自分を指さしているのだよ・・・と。
Pranayamaの実践を通して、人としての在り方も学んでいます。