ティワリジがエゴについてお話されたときのこと。エゴには2つの側面があります。それがアハンカーラとアスミタ。
アハンカーラはwrong sense of “I”(間違った感覚の「私」)と表現されます。
それに対して、アスミタはright sense of “I”(正しい感覚の「私」)。
2つは光と影のようなものだと。
アハンカーラは、表に出たがって目立つ存在。つまり、光が当たっている部分。
アスミタは、アハンカーラがあるところには必ず存在しているけれど、目立たない存在、影のように・・・。
その言葉をなぜか今、思い出しました。
光が差し込む方向や、見る者見られる物の場所によって影の強弱が変化するように、アハンカーラを柔らかくして、アスミタの存在感を強めることも出来る。それがパタンジャリのアシュタンガヨーガ(八支則)の外側のヨーガの段階で目指すことかな、と感じました。
最終的には、クレーシャ(煩悩)の一つであるアスミタも消えていく方向に実践を進めていくのだけれど。
アハンカーラではなくアスミタの存在を引き出すことが出来る意識、感じることが出来る存在でいられますように。自分に対しても、人に対しても。